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(これはすごいブレてる花宗)


ハナコマ199*/12/02
毛利元就がだいすきな厄介な人
最近はオンラインゲームにハマっています
血中アルコール濃度が低いと喋りません


▼花宗(♀)2012/05/22
スキッパーキ
>>あまりの気の強さから前歯を失う
ローションティッシュ盗み食い常習犯

茶々丸(♂)*2013/09/07実家へ
雑種
>>博多生まれのエキゾチックにゃんこ
燕ちゃんが大好き

▼小鞠(♂)2014/10/10
日本スピッツ
>>ビッグベイビー
よく何かを話し掛けてくる

▼桐(♀)2010/03 *2016/10/20
ラガマフィン
>>元繁殖猫
神に愛されし存在

▽陶(♀)2017/04/19-07/22
日本スピッツ×スキッパーキ
>>甘えん坊のおりこうさん

▽燕(♀)2017/10/31-2019/02/07
日本スピッツ×スキッパーキ
>>ポップコーンのように駆け回る
どんな生き物にも優しい

▼謐(♂)*2018/11/09
雑種
>>大きな声で良くなく
物怖じしない食欲の権化

▼ウタリ(♂)2017/10/31*2018/11/20
日本スピッツ✕スキッパーキ
>>不器用な甘えん坊
色々あって帰ってきました

▼稲(♂)2021/08/15*10/01
雑種
>>謐の甥っ子・おこめちゃんと兄妹
ビビり屋の甘えん坊

久しぶりに少し書きたい

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「可愛いのに勿体ない」「女はいいよな~楽に稼げて!」「俺も女に生まれたらな……」

ビタビタの湿地帯みたいな顔面、遠慮なく主張する丸いビール腹、自分が気持ち良くなるだけの昔話、、下卑た目線で他人の事をジロジロ見てそう笑う醜い顔を剣山でメッタ刺しにしてやりたい。昔はよくそんな事を考えていた。

”女だから”人から注目されて”女だから”チヤホヤされていると言う。お前は人に愛されるためになにかしたか?

自分を愛せる自分になる為に流れた血も、どんなにしんどくても欠かさなかったスキンケアも、季節・時代によって移り変わるメイクだって何度も試行錯誤した。

潜在的な優劣はあれど、女は「自分を愛するために」美しくあろうとする。お前は人から愛されるために何か努力したか?

 

人に注目され愛されるのって気持ちいいよね。その昔、個スレが立って色んな人間の評価の前に晒され私じゃないわたしの目撃情報で掲示板が盛り上がっているのを眺め、若い承認欲求を満たしていた。

わたしは自分の形のいい爪が好き綺麗な平行二重の目が好き自分のことが本当に好き

でも、人に”見てもらう”にはその時間を割く価値がなきゃいけない。他人の2時間前には起きてハリーポッターのハグリッドみたいな地毛の天パをパケージ内のそうめんみたいに丁寧に伸ばして、アレルギー体質で強くない肌に化粧を載せる。何気なく書いているようなブログすら何度も添削を繰り返して納得いくまでいつも液晶の中を睨んでいた。

未だにトモダチの基盤は当時わたしに関わってくれた、友達になってくれた子達でこの先もずっとずっと大切にしていきたいなと思ってる。

美しくありたかった当時のわたしが築いたものはその労力に見合うまたそれ以上のものをくれた。

それを踏まえてわたしは自分の事も他人の事も「愛してる」と言える。

 

おまえはなにかしたのか?

許せないのは誰?

初めてそのイヌを見たのはまだ覚えたてのパソコンの中でだった。当時国内には数十頭しかいない犬。顔付きは堂々としており写真だけで見れば中型犬のような雰囲気を持ちつつも、実際は5キロ前後と小さな黒い犬。

人生でシャンパンタワーの次に大きな出費となった(心底嫌な表現だね)わたしの可愛い犬。今年で9歳になった。人間で言えば丁度わたしの母と同じくらいだ。

まだまだ老年期の兆候の影は薄いが、明らかに性格が丸くなったしあのツヤツヤ真黒の被毛にチラホラと白い毛が見られるようになった。

他の犬を厳しく指導したり、目敏く食べ物を引きずり出しては盗むところなんか何一つ変わっていない。なのに、わたしを置いて駆け抜けていってしまう。

イヌが、またはネコが死ねばその形に穴が空く。正確には花宗型の穴が。その穴は再びイヌを飼おうが埋まる事なんかなくて、ただそこは一緒に過ごした温かな記憶で満たされる。その先の人生も穴の中で揺らぐ温かいものと一緒に過ごし、また会いたいなァなんて思いながら死んでいくのだろう。

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わたしたちが30歳で死ななきゃいけない理由

わたしの青春を彩ったバンドのドラムが来春脱退するらしい。

狂ったようにバイトして全日の高校に通いながら全国ツアーを白いロリータ翻しながらストーカーの如く全通したのも

「ヘタクソなんだからせめて格好だけはカッコよくやりたい!!」と部活でドラムを殴っていた相方(笑)が憧れていたのも 意味もなく死にたくて理由もないのに泣いていた世界を肯定してくれたのも全部このバンドだった。

あの頃の私たちはみな、30歳には死ぬ運命を背負っていたし朝起きたらhydeみたいな顔になってる事を信じていた そして夢中になって追いかけ回したバンドたちは永遠にそこにいると思い込んでいた。

夜行バスの中でCDプレイヤー握り締めた夜も、インターネットで知り合っただけの知らない女の家でカフェオレ握り締めてしたライブ鑑賞会も 二度と戻らない青春を与えてくれた。

つらい夜も泣くほど楽しい時間も、何もかも彼らと共に”あった”

彼が居なくなってもその名を冠した彼らは立ち止まらないだろう。走り抜けて欲しい。何処までも、彼ららしく、わたしの憧れ愛した世界を

遺影

『喪中につき年末年始の御挨拶を御遠慮申し上げます』この季節見慣れた字面を流し見た横で、母が驚いた顔をしていた。意外な反応にもう一度そのハガキを覗き込めば見慣れぬ名前が鎮座していて、明らかに静かになった母に「どうしたの」とこぼれたのは生理現象みたいなものだった。

人間関係が広いとはいえない母の、恐らく大切であろう人たちの事は名前くらいなら大体知っている。週末遊びに行った相手、地元みかんを毎年送ってくれる友人、良くしてくれた叔父 何処にもその名前はない。

今はその印刷された文字列の中のだけの人、彼は28歳。母同士が偶然同じ病院病室で出会った誕生日の近いわたしと同い年の「おとこのこ」だった。

毎年面白い年賀状をくれてた人だよと続けられるもピンと来るものはひとつもない。今更他人の死になにか感じるような繊細な優しさは持ち合わせていないけれど、妊娠中殆ど食を受け付けず痩せ細り、出産当日も泥酔して立ち会えないような父を抱えた母を励まし一緒に戦った戦友、その特別な存在だったのかもしれない。

生きていれば行き着く先は必ず同じで、不可避の事実を恐れる程子どもでもない。

でもそれは”自分”だったらの話だ。

あのハガキに並ぶのは己や己の関心の無い他人だけではない。

その時になって私の耳元でずっと傍に居た「死」の呼吸音が聞こえる。誰だってどんな生き物であれ着いて回るそれが突然色濃く、離れずに居ることに気付く。

失いたくない人がいる、大切な友人がいる。かわいい犬や猫だって、死ぬのが恐ろしい。怖い。

その名前を口に出して呼んだ記憶はない。きっと生まれて数日を一緒に過ごしただけの他人に、自らの心臓の音で身体が揺さぶられるような動揺を覚えている。

こんな日は適当にセックスして寝腐るのが1番楽だ。

大概わたしも繊細で現金で面倒臭い。