遺影

『喪中につき年末年始の御挨拶を御遠慮申し上げます』この季節見慣れた字面を流し見た横で、母が驚いた顔をしていた。意外な反応にもう一度そのハガキを覗き込めば見慣れぬ名前が鎮座していて、明らかに静かになった母に「どうしたの」とこぼれたのは生理現象みたいなものだった。

人間関係が広いとはいえない母の、恐らく大切であろう人たちの事は名前くらいなら大体知っている。週末遊びに行った相手、地元みかんを毎年送ってくれる友人、良くしてくれた叔父 何処にもその名前はない。

今はその印刷された文字列の中のだけの人、彼は28歳。母同士が偶然同じ病院病室で出会った誕生日の近いわたしと同い年の「おとこのこ」だった。

毎年面白い年賀状をくれてた人だよと続けられるもピンと来るものはひとつもない。今更他人の死になにか感じるような繊細な優しさは持ち合わせていないけれど、妊娠中殆ど食を受け付けず痩せ細り、出産当日も泥酔して立ち会えないような父を抱えた母を励まし一緒に戦った戦友、その特別な存在だったのかもしれない。

生きていれば行き着く先は必ず同じで、不可避の事実を恐れる程子どもでもない。

でもそれは”自分”だったらの話だ。

あのハガキに並ぶのは己や己の関心の無い他人だけではない。

その時になって私の耳元でずっと傍に居た「死」の呼吸音が聞こえる。誰だってどんな生き物であれ着いて回るそれが突然色濃く、離れずに居ることに気付く。

失いたくない人がいる、大切な友人がいる。かわいい犬や猫だって、死ぬのが恐ろしい。怖い。

その名前を口に出して呼んだ記憶はない。きっと生まれて数日を一緒に過ごしただけの他人に、自らの心臓の音で身体が揺さぶられるような動揺を覚えている。

こんな日は適当にセックスして寝腐るのが1番楽だ。

大概わたしも繊細で現金で面倒臭い。